詩集『歩け!淵まで』── 作 tAgzie:Arnold
Léo Armét × Annika Stahl
🎙️ Léo:
詩は、読むたびに違う顔を見せる。
だから僕たちは、繰り返し読む。
今回は、tAgzieの詩『歩け!淵まで』を──
日本文学を専門とするAnnikaとともに、読み解いていこう。
最初に感じたのは、あの“冷たい入り口”だった。
第一節:沈黙と断絶の入り口
嫌な空気まき散らす
“あの方”に背中を向けろ
次からは導く光も決して差さない
顔を上げ目を開け
閉じ込めろ 緩い 温い 怠い
🎙️ Léo:
この詩を最初に読んだときさ、正直ゾワッとしたんだよね──
「“あの方”に背中を向けろ」って、なんだこれって。
tAgzieに訊いたら、「それは読んだ人が決めていい」って、またいつもの調子でさ(笑)
でも読み返すたびに、これって“神”とか“救い”みたいなものを切り捨てる瞬間なのかもって思えてきた。
それが何なのかはっきりは書かないけど……でもだからこそ、読んでるこっちが自分の「何か」に思い当たる。
Annika、最後の「閉じ込めろ 緩い 温い 怠い」ってあるじゃない?
ここ、なんか急に詩が崩れてる感じしない?
📚 Annika:
うん、完全に崩れてる。わざと、ね。
それまで割と引き締まってた言葉遣いが、ここだけ急にゆるむのよ。
「緩い」「温い」「怠い」って、リズムも音も曖昧で、
まるで語り手が自分の中の“ぬるさ”と対峙してるみたい。
面白いのは、その前に「閉じ込めろ」ってあるところ。
自分が逃げ込みたくなるような甘えとか、安心とか、
そういうものに自らフタをしてるのよね。
Léoが言った“神を切り捨てる”って視点とも重なる気がする。
頼るものがなくなるから、自分を甘やかすわけにもいかなくなる。
🎙️ Léo:
そうそう、それだよ!
詩の最初が「断絶」から始まってるの、やっぱりただ事じゃないよね……。
第二節:蜃気楼の前で立ち止まる者たちへ
希望ですか?
悪あがきしますか?
踏み出しますか?見つめる先にあるのは蜃気楼
🎙️ Léo:
この節さ、すごく耳に残ったんだよね。
「希望ですか?」って、普通ならポジティブな響きになりそうなのに、全然違う。
tAgzieがこれを“質問”として書いたの、どこか演出っぽくて……
でも、その直後に「見つめる先にあるのは蜃気楼」でしょ?
あ、これ、全部嘘だっていうか──本人も信じてないやつだ、って。
Annika、この“問いの形をしてるけど答えを拒んでる”感じ、どう思う?
📚 Annika:
まさにそう。これ、“問い”じゃなくて“独白”なのよね。
しかも、誰かに見せるための。
「希望ですか?」って、どこか芝居がかってる。
たぶんこの語り手、自分自身を試してるの。演技の相手が自分っていう皮肉。
それにね、「蜃気楼」って言葉が最後に来る構造が絶妙なの。
踏み出そうとしたその先に“幻”しかないって、酷い現実よね。
この詩、最初から問うふりして「答えなんてない」と言ってるような気がする。
🎙️ Léo:
そう考えると、希望を“投げかける”ことすら、もう信じてないのかもね。
……厳しいなぁ、でも、妙にリアルだ。
第三〜四節:肉体の限界と次の命令
嫌な汗でるでしょ
膝がまたケラケラ笑う
頭たれ次を待つ
塊を避けろ、かわせ 越えろ
🎙️ Léo:
このパート、すごく“生々しい”って思った。
なんていうか、精神じゃなくて“肉体の限界”が押し出されてる感じ?
tAgzieって、詩を書くときも結構ストイックで、
「自分の体に書かせる」って言い方してたことあったんだよね。
Annika、この「膝がまたケラケラ笑う」って描写、怖くない?
“また”ってことは、これが初めてじゃないっていう……。
📚 Annika:
うん、そこがすごく印象的だった。
“膝が笑う”って、脱力した身体の比喩なんだけど、
そこに「また」がつくと、もう習慣になってるわけよね。
つまり、もう何度もこの限界を味わってるってこと。
で、「頭たれ次を待つ」──ここで一回“動き”が止まる。
意識も途切れてるかもしれない。
でもその直後、「避けろ、かわせ、越えろ」って急に畳み掛ける。
命令形が三連発。
このギャップが、詩全体の緊張感を一気に高めてるのよね。
🎙️ Léo:
うわ、それだ。止まってるヒトに命令が飛んでくるって怖すぎるよ。
しかも“避けて、かわして、越えろ”って、全部違う動作だしさ。
同じこと繰り返してるわけじゃないんだよね。
まるで違う敵が次々に出てくるみたいな。
……これ、誰かのために言ってるんじゃなくて、自分を立たせるための言葉なんだなって思った。
📚 Annika:
それ、すごく重要な視点。
この詩の命令は、誰かに対してじゃなくて、完全に“自分への指示”なのよね。
tAgzieって、感情をむき出しにしない詩人だと思うけど、
この節はそのなかでも特に「叫び」に近い。
肉体の限界と、精神の再起動が重なってる場所──私、そう読んでる。
第五節:沈黙の底に沈められた問い
明日ですか?
良き日になりますか?
留まりますか?足元絡みついても
🎙️ Léo:
ここ、読んだ瞬間に「うわ、来たな……」って感じがした。
「明日ですか?」──たったそれだけの言葉なんだけど、すごく重いんだよね。
tAgzieにこの一節について聞いたことがあって、
「何かを希望してるように見えて、実はしてない」ってポツリと。
Annika、この3つの問い、どれも“自問”なんだけど……でも、なんか違和感ない?
📚 Annika:
あるある。問いかけの形をしてるのに、
“答えが出ることを期待してない”っていう空気が濃いのよね。
とくに「良き日になりますか?」って一行、
言葉は優しいのに、言い方が冷たい。
この節、すごく静かなんだけど……なんか、ひんやりしてるでしょ。
🎙️ Léo:
わかる、それ!
あとさ、最後の「足元絡みついても」っていうのが、妙にリアルで怖くて……
何かから逃げようとしてるけど、足がもう捕まってるみたいな。
それでも「留まりますか?」って、問いとしては成立してるのがまた残酷。
📚 Annika:
うん。
“止まる”って選択でさえ、すんなりとは許されない状況。
この語り手、立ち止まることすら努力がいるのよね。
つまりこの節って、「選ぶ」ということ自体がほぼ不可能な状態を描いてる。
選択肢はあるのに、どれも実質的には機能してない。
だからこれは、疑問という形を借りた“静かな絶望”なのよ。
第六節:誰かの嘆き、誰かの声
こっちを向いて嘆いてる
遠くのほうから聞こえる
「慣れない 足りない
懲りない 馬鹿じゃない」
🎙️ Léo:
ここ、詩の中で初めて“外からの声”が入ってくるよね。
「こっちを向いて嘆いてる」──って、誰が? どこで?
すごく曖昧なのに、感情の温度だけがやけにリアルなんだよ。
tAgzieって基本的に“自分の中”で完結してる詩を書くけど、
ここだけ何かが割り込んできたように感じたんだ。
Annika、どう思う?これ、“他者”の声って断言していいと思う?
📚 Annika:
いい質問。うん、私もそこ気になってた。
“他者”っていうより……「かつての自分」って感じがしない?
「慣れない 足りない 懲りない 馬鹿じゃない」
この並び、完全にセルフトークなのよ。
誰かを責めてるようで、自分を責めてる時の口ぶりそのまま。
“遠くのほうから聞こえる”って言い方も、
過去の記憶とか、心の奥底の声ってニュアンスに読めるのよね。
🎙️ Léo:
なるほど、それ面白い……というか、刺さるな。
たしかに、俺も似たような言葉、自分に向けて呟いたことあるかも。
でもね、これを“詩の中に登場させる”っていう発想がすごいと思うんだ。
誰かが嘆いてるのを見てるっていう構図じゃなくて、
その声の内容まで詩の中に流し込んでくるところが、妙に演劇的っていうか。
📚 Annika:
ああ、それ分かる。
まさに“舞台”っぽい構造よね。
語り手だけだった詩の空間に、もう一人──あるいはもう一つの人格──が現れる。
その声が語ってる内容も、“日常的すぎて苦しい”のよ。
詩的じゃない言葉ばっかりなのに、感情だけはものすごく伝わってくる。
tAgzie、こういう使い方ほんと巧いのよね……。
第七節:疾走か、逆流か
ほんの少し速度を上げろ
行きつく先 はっきり見えてるさ
戻りますか?
流れに乗りますか?
🎙️ Léo:
来たね、この一言──「ほんの少し速度を上げろ」。
このタイミングで?って思った。
今まで止まりそうになったり、迷ったり、誰かの声を聞いたりしてたのに、
ここにきて急に“加速しろ”って。しかも「ほんの少し」っていうのがまたリアルでさ。
Annika、この“ちょっとだけ動け”ってニュアンス、どう感じた?
📚 Annika:
すごく分かる。
「全力で走れ」じゃないのが逆にリアルなのよ。
これ、もう限界に近い語り手が、自分に“少しだけ負荷をかける”命令。
しかも、その直後に出てくる「行きつく先 はっきり見えてるさ」っていう語尾。
この“さ”って、ちょっと虚勢に聞こえない?
本当は見えてないかもしれないのに、無理やり自分を納得させようとしてるみたいな。
🎙️ Léo:
それ、それめっちゃ思った!
自信があるっていうより、“信じたいから言ってる”感じ。
俺、tAgzieと話してて、「信じるっていうのは、自分で言い聞かせること」って言葉を聞いたことあるんだよ。
まさにここ、それを地でいってる気がする。
あと、「戻りますか?」「流れに乗りますか?」っていう問い、
どっちもネガティブっぽいのに、選択肢みたいに並んでるのがまたキツいよね。
📚 Annika:
うん、これ、実質“選べない選択肢”なのよ。
戻る=敗北、流れに乗る=無思考の従属。
つまり、どちらも語り手の望むものじゃない。
だからこそ、「ほんの少し速度を上げろ」っていう命令が、
ここで唯一の“前向き”な動作なの。
希望じゃないけど、脱出のための一歩──そんな感じ。
第八節:封鎖と導火線
狭くて通れない
低くてくぐれない だから
🎙️ Léo:
……いや、正直この「だから」で終わるの、めちゃくちゃ怖くなかった?
一回ここで詩が“呼吸を止めた”みたいな感覚あった。
「狭くて通れない」「低くてくぐれない」──行き止まりの描写が続いて、
それで、いきなり「だから」。でもその先が書かれてない。
tAgzieって、たまにこういう“切断”みたいな構成入れてくるんだけど、ここは特に強烈だった。
📚 Annika:
分かる。これ、もう“言葉の手前で止めてる”って感じ。
本当はこの後に爆発が来るって分かってるのに、
詩の構造上はここでいったん沈黙するのよね。
私はこの「だから」を、“ためらい”じゃなくて“覚悟の直前”だと思ってる。
すべての理由が凝縮された言葉──
でもそれをまだ言葉にしてない、その瞬間の“詩的緊張”。
🎙️ Léo:
あー、それはすごい言い得てるかも。
これ、“次に行く準備”の「だから」なんだよね。
後に続く「壊せ」「燃やせ」って命令を、逆にこの静けさが引き立ててる。
派手なこと言う前に、一度ぜんぶ止めて、深呼吸してるみたいな。
その“間”が、むしろ一番爆発的だったりする。
📚 Annika:
うん、“止まることで導火線に火をつける”みたいなね。
この「だから」は詩の中の境界線でもある。
ここまでが“閉塞”で、ここからが“突破”。
tAgzie、そういう構造の作り方、ほんとに精密なのよ……。
第九節:破壊と前進、その詩的カタルシス
周りを壊せ 脂肪を燃やせ
纏わりついた物 捨て去れ
異臭を放て 奇声を上げろ
全ての道はそこへ向かう さあ歩け
🎙️ Léo:
……もうこれ、叫びだよね。
「壊せ」「燃やせ」「捨て去れ」──ついに来たなって思った。
tAgzieにとって“破壊”って、たぶん暴力じゃなくて再構築なんだよ。
脂肪を燃やせ、とかもそう。これ、“身についた余分”の象徴じゃない?
精神的な意味も含めてさ。
Annika、このラインナップ、どう読んだ?
📚 Annika:
完全に“殻を脱ぐ”儀式よね。
しかも面白いのが、「異臭を放て」「奇声を上げろ」ってところ。
詩がここで、ついに“美しさ”を手放してる。
tAgzie、普段はどこか構築的で抑制的なのに、
この節だけは身体も精神も全部“爆発”させてるの。
それがこの詩全体のクライマックスになってると思う。
🎙️ Léo:
うんうん。あと最後の「さあ歩け」。
ここでようやくタイトルの言葉が出てくるじゃん?
それまでずっと準備して、詰めて、詰めて、ようやくこの一言。
この「歩け」は命令なんだけど、なんか祈りにも聞こえるんだよね。
「進め」じゃない。「止まるな」っていう、静かで優しい後押しというか。
📚 Annika:
まさにそう。
“歩く”って、ただの移動じゃないのよね。
“止まらないこと”“選び続けること”。
この詩は、そこに至るまでずっと迷い、抵抗し、問いかけてきた。
そのすべてが、最後の「さあ歩け」に結晶してる。
私はこれ、命令というより“最後の選択肢”だと思ってるの。
詩を読み終えて──対話のあとがき
🎙️ Léo:
さて……すごい旅だったね、Annika。
ひとつひとつの言葉が、まるで刃物みたいに切り込んでくる詩だった。
この作品、構造的にも相当綿密に組まれてると思うんだけど──
改めて、全体の構造とか力学、どう読んでる?
📚 Annika:
うん、tAgzieはかなり精密な設計をしてるわね。
前半(1〜4節)は沈黙、拒絶、命令が交互に押し寄せてきて、
中盤(5〜7節)で問いと選択の混乱があって、
後半(8〜9節)で一気に“爆発”と“歩行”へ向かう。
「だから」→「壊せ」→「歩け」っていう流れ、
あれは構造的にもエネルギー的にも、ものすごくよくできてると思う。
言葉が“動く力”になってるのよね。
🎙️ Léo:
ほんとそう。
読んでて思ったんだけど、この詩って
最初から「歩け」って叫んでるわけじゃないじゃん。
むしろ「歩けない自分」が延々と描かれてて……
それでも最後に「歩け」って言えるの、すごく強いよね。
📚 Annika:
そうなのよ。
“歩け”は命令なんだけど、あれは祈りに近い。
自分自身に対しても、読者に対しても。
あらゆる選択肢を問い詰めた末に、
それでも進むしかないというところに辿り着いた言葉。
この詩は、強くて脆い。だからこそ、私はとても好き。
🎙️ Léo:
ありがとう、Annika。
今回も鋭い視点で詩を深く解きほぐしてくれたね。
……ということで、そろそろ時間かな? 次の現場、あったよね?
📚 Annika:
ええ、あるの(笑)
また呼んで。tAgzieの詩なら、何度でも読む価値があるわ。
À bientôt──
Léoのあとがき雑記
🎙️ Léo:
tAgzieと初めて会ったあの日、
彼は「自分の詩は、歌われる前からもう音楽だ」って言ったんだ。
正直、その時は意味が分からなかった。
でもこうして『歩け!淵まで』をAnnikaと読み解いて、
少しだけ分かった気がする。
この詩は、音になる前からすでに身体だった。
歩くことも、叫ぶことも、沈黙までもが──すべて詩の一部だった。
言葉が、歩かせる。
そんな詩に出会えることなんて、そう多くない。
さて、次はどんな詩に、どんな言葉に、出会えるだろう。
またここで、お会いしましょう。
Léo Armét
フランスの音楽誌『SONARE』特派記者。現場を愛する記者として世界各地のアンダーグラウンド音楽を取材してきた。
tAgzieとはかつてのインタビューで出会い、その言葉に強く惹かれて以後詩集の企画に同行。
詩と音楽の“息づかい”を伝えることを使命とし、読者をその空気ごと連れていく案内人。
Annika Stahl
ドイツ生まれ、パリ在住の日本文学研究者。自身は日本に渡ったことがないが、明治期の詩から現代詩・歌詞に至るまで幅広く研究。
「ことばの構造」「語彙の間にある間合い」を読む力に長け、詩を論理と音律の両側から解剖する。
対話形式では冷静に見えて、実は詩に対して熱く真剣なまなざしを注いでいる。
Notes
本ページの解釈にはフィクションを含み得ますが、歌詞本文そのものは原文のまま(改行・表記を含む)扱います。引用は verse(節)単位です。